万徳山遍智院 大高寺

所在地 高萩市本町1-128番地(県立高萩高等学校坂下)
宗派 真言宗
本尊 大日如来

 鎌倉時代、建長2年(1250)、徳溢犬師が創建したといわれ、後に、下総国建徳寺の鏡カン法印が明徳元年(1390)に中興開山した。一説には、長禄年中に下手綱台の大高という所に建立中興開山、文禄3年(1594)に下手綱の内久田に心蓮上人が移したと言われている。山内には、徳溢大師の作といわれる内久田観世音と呼ばれる観音堂があり、江戸時代になって、慶長7年(1602)御朱印高20石を賜り、光圀からも保護を受けた。延宝5年(1677)に中輿され、当国巡礼17番札所であった。明治19年(1886)に焼失してしまい、太平洋戦争後、現在地に再興された。

絹本著色 観経十六観変相図(茨城県指定文化財絵画 平成14年1月25日指定)
 
 これは、昭和62年3月5日に市が文化財絵画として指定していた「九品曼茶羅図」であった。それが、調査の結果、貴重なものとわかり、県指定文化財となった平成14年1月25日に名称が上記の呼び方に変えたものである。

 この絵画は、鎌倉時代に朝鮮半島で栄えた王朝の高麗から伝わったとされている。縦約180cm、横約120cmの仏教絵画である。仏教の世界で、悟りを開いて極楽浄土を想像するための16の方法を図式的に表現したもので、製作は1300年前後と推定されている。大陸から渡来した十六観図は、日本国内では、京都の知恩院、福井県敦貿市の西福寺と高萩市の大高寺の3つしかないといわれる貴重な絵画である。京都、福井の十六観図は、救済の対象に庶民まで入れているが、大高寺のものは、菩薩のみしか描かれておらず、現在では世界でも1点しかないとも言われ、かなり貴重なものと言える。

胎蔵界 曼茶羅図 (市指定文化財絵画 昭稿62年3月5日指定)

 胎蔵界曼茶羅図は、中心に大日如来をすえて、八葉蓮弁に四仏、四菩薩を交互に配置し、さらに、上下左右に般若、釈迦、普賢、観音、などの諸仏を配置して災いを除いて、即身成仏する教理を示しています。現存する曼茶羅図もこの特徴が良く表現されており、数百年にわたって人々の信仰を受けて来た貴重なものである。

 一般的に、胎蔵界曼秦羅は、金剛界曼茶羅と対をなしています。しかし、大高寺のお話しでは、金剛界曼茶羅は、いつのころからか不明となってしまったと言われている。
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