NHK 知るを楽しむ この人この世界  教育テレビ 2006年2-3月     脳を鍛える 東北大学教授 川島隆太

第四回 脳と言語

「音」の言葉と「文字」の言葉では脳の働く場所が違う

 言葉には二種類あります。一つは音としての言葉。口で話され、耳で聞く情報ツールで、人間以外の動物、例えば鳥などもこの言葉を持っているといわれます。もう一つは文字としての言葉。手などで書かれ、目で読む情報ツールで、人間しか持っていません。二種類の言葉にはそれぞれに特色があります。音としての言葉は、特に感情を伝えるのに適しています。ただし、コンピュータや電話を使わないかぎりは、近くの人にしか伝えることはできません。一方、文字としての言葉は、感情を伝えるのは苦手ですが、時間や空間を超えて人に情報を伝えられます。同じ言葉でも、性質は大きく異なるのです。
 言葉がわれわれの脳の中のどこでどのように関係しているかは、ブローカやウェルニッケら先人たちの観察から発見され、その後、脳機能イメージングを使ってさらに詳しく解明されてきました。その結果、現在では、脳の中では二種類の言葉が違う場所で処理されていることがわかっています。
 「音」としての言葉を「聞く」ときには、情報がまず脳の側頭葉の聴覚領域に入り、そこから脳の中を広がります。側頭葉にはさまざまな音を聞き分ける場所があり、最近の私たちの研究では、言葉とそれ以外の音は、側頭葉の中でも違う場所で分担していることがわかってきました。おもしろいことに、赤ちゃん言葉を聞くときはその両方の場所を使っています。例えばブーブーという赤ちゃん言葉は、車が走るときの実際の「音」であり、同時に車自体を表す「言葉」でもあります。だから、脳は赤ちゃん言葉を「音」としても「言葉」としても聞いているわけです。
 さて、側頭葉に入った言葉の情報は、側頭葉と頭頂葉との狭間のウェルニッケ野と呼ばれる領域に送られます。ここでは、聞いた言葉の意味の理解が行なわれています。以前はそこで情報が止まってしまうと考えられていましたが、最近の研究により、そこではだいたいの意味の理解しか行なわれず、さらに、前頭前野のブローカ野と呼ばれる領域まで送られ、文法の解釈や細かい意味の理解が行なわれることがわかりました。ただし、すべての情報がブローカ野まで送られるわけではありません。頭に負担がかからない状態、例えば日本人が日本語の短い文章を聞いているときには、情報の主な処理は側頭葉からウェルニッケ野の間で終わります。ところが、同じ短い文章でも英語の場合はブローカ野まで送られることがわかりました。音としての言葉の難しさによって、脳はどの部分を使うかを選択しているらしいのです。
 日本語でも長い文章を理解しようとするときにはこれと同様、「音を聞く」ことに特化した場所だけでなく、脳のいろいろな部分を一緒に使わないと理解ができません。ものを見る後頭葉の視覚野も活性化します。これは、長い文章を聞くと、「心の目」が働きだし、頭の中でいろいろな情景が視覚的に浮かんでくるからだと考えられます。このように、情報の複雑さが増すと脳全体が活発に働くのです。
  音としての言葉を「話す」ときにも同じようなことが言えます。ただ単に「ピッピッ」という意味のない音を頭の中で想像すると、脳の中では頭のてっぺんにある補足運動野とブローカ野のあたりが活性化し、言葉が作り始められます。次に、意味のない音ではなく単語などを考え出すと、特にブロー力野のあたりで反応が広がり、かつ前頭前野の働きが大いに活性化してきます。さらに、文章を話そうとするともっと多くの場所が働き出し、側頭葉のウェルニッケ野も、側頭葉の下の後ろの下側頭回という場所も働き始め、反応がぐっと広がります。そして、実際に声に出し、言葉が音として出ていくときには、前頭葉の運動領域と、頭のてっぺんの補足運動野、加えて前頭前野の下の後ろにある場所が主に働きます。
 続いて、「文字」としての言葉を「読む」ときについて説明しましょう。まず、文字を見たときには、ものを見る後頭葉が働きます。そこから情報は主に二か所に分かれ、一つは下側頭回という場所に運ばれます。ここには文字の形、特に漢字の形の情報などが入っていますから、記号としての文字の意味を理解しようとしているのだと考えられます。もう一つの情報は、頭頂葉の角回という場所に運ばれます。ここはさまざまな文字の持つ意味、例えば「ゾウ」という言葉はエレファントを表すといった意味が格納されています。
 次に文章を読ませると、それらの文字の情報を統合する活動を行なうため、前頭葉のブロー力野を中心とした領域が働きだし、さらに複雑な文を読ませると、ウェルニッケ野のほか、音を聞く聴覚野も働き始めます。黙読をするとき、私たちは口には出さずとも頭の中で声を出して文字を読んでいます。そんな「心の声」が思わず口に出てしまい、慌てた経験をもっている人は少なくないでしょう。つまり、「読む」という行為は文字を音に変えることであり、それを脳が聞くために、聴覚野も一緒に働き出すのだと考えられます。また音としての文字を聞くときと同様に、「心の目」で見た情景が頭に浮かぶので、視覚野でも反応が起こります。「文字」としての言葉を「書く」ときの脳の反応は、よくわかっていませんでした。その理由は、脳機能イメージングの装置の機能とかかわってきます。例えばMRIは、頭を固定して仰向けに寝る体勢で測定をします。この姿勢で書くことはほぼ不可能なので、書く時の脳の反応はわからなかったのです。しかし、工夫や努力を重ねた結果、いくつかの施設で研究が始まりました。その結果、文字を書いているときには、われわれの脳の中でまず左の運動野と体性感覚野という手の運動をコントロールする領域に加え、前頭前野が左右とも活性化し、頭頂連合野という場所も活性化することがわかりました。頭頂連合野は空間認知をしているところですから、文字の形や配置を考えているのだと思われます。また、書いている文字は自然と自分で読んでもいますから、ものを見る後頭葉の視覚野も活性化します。文字を書くときも、やはり脳の奥の場所が活性化してくるということがわかってきたのです。

母国語か外国語かでも脳の働く場所が違う

 以上のように、脳と言葉との関係を見ていくと、脳の中の実にたくさんの部分が関わっていることがわかります。普通、脳の研究というと、特にサルやネコを使って研究している大脳生理学者の場合は、脳に直接針を刺したりして、ある特定の領域をねらって研究しています。だから、この人は頭頂葉の専門家、あの人は側頭葉の専門家だというように専門が分かれてきます。ところが、私たちが活用している脳機能イメージングという方法では、人間全体を相手にした、脳全体の情報が出てきます。また、ヒトの活動のすべては脳で表現され、しかも脳のいろいろなところを使いますから、「言語」などのヒトの活動を軸にして脳を研究しようとすると、どこの専門家ということにこだわっていたら理解できません。こうした脳と言葉との関係について研究を進めるうちに、日本語や英語といった言語に関する、興味深い脳の働きがわかってきました。
 生まれてからすぐ海外に住み、家の中では母国語、外では外国語というように二つの言語を自然と使ってきた、いわゆるバイリンガルの方たちは、日本語も母国語も同じようにペラペラと話すことができます。こういう人たちは母国語も外国語もほぼ脳の同じ場所を使っています。ところが、同じようにペラベラでも、中学生や高校生になってから一生懸命勉強した人たちは、母国語と外国語とで脳の少し違う場所を使っています。
 この研究をさらに進めると、興味深いことがわかってきました。まず、バイリンガルでない円本人に英語の単文の理解をさせると、左の前頭前野のブローカ野がより働くという結果が出てきました。続いて韓国の人たちの中で、英語が第一外国語で日本語を第二外国語として習ってきた人たちに協力をしていただいて研究をしたところ、第一外国語の英語を使うときには日本人が英語を扱っているときと同じで左の前頭前野がより働く結果が出たのですが、学んだ量が少ない第二外国語の日本語を扱ったときには、脳の働き方が韓国語と比べてもあまり変わらないという結果が出たのです。そこで、この違いをもとに、前頭前野のブローカ野の働きについて解明できるかもしれないと考えました。
 まず、日本語と韓国語は文法がとても似ていることに注目しました。極端にいうと受動形があるかないかくらいの差しかありませんから、単語さえ理解すれば、お互いに非常に学びやすい言語だと言えます。ところが、英語は文法が日本語や韓国語とまったく違います。そこで、左の前頭前野のブロー力野は、そういった文法の理解と関係があるのではないかと推測しました。
 次に私たちは、実際に文法が正しい文と間違った文を聞き分ける実験をしてみました。すると、確かに左の前頭前野が大いに活性化している。つまり、私たちは脳の中で、在左の脳の前頭前野を使って、聞いた文章の文法を判断していることがわかってきました。さらにその説を固めるデータとして、同じ日本人が古文を読んでいるときの脳活動を測りました。古文は、単語などの意味は現在使っている日本語と共通する点が多いですが、文法がまったく異なります。結果は私たちの予想どおり、左の前頭前野がより働くというデータが出てきました。そこから、外国語に限らず、素直に理解できない言語を扱うときには、ブローカ野のあたりを大いに使っているということが見えてきたのです。

音読が脳を活性化する

 第1回で、私たちが「脳機能イメージング」の研究に取り組んだ際、「研究成果を社会に還元する」道を選択したことについて触れました。ですから、ここで述べたような研究成果も、「どうしたら脳を活性化し、鍛えられるか」を目指して発展させていくことが大切になります。その中で得たのが、「音読をすると黙読するときより脳が働く」というデータでした。
 ここで試しに、私がくもん出版から出している『脳を鍛える大人の音読ドリル』より、音読トレーニングをしてみましょう。例として二つ上げます。どちらの文章も声を出して、できるかぎり早く続けて二回読んでみて下さい。

銀河鉄道の夜
宮沢賢治
「ではみなさんは、そういうふうに川だと言われたり、乳の流れたあとだと言われたりしていた、このぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」
 先生は、黒板につるした大きな黒い星座の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯のようなところをさしながら、みんなに問いをかけました。
 カムパネルラが手をあげました。それから四五人手をあげました。ジョバンニも手をあげようとして、急いでそのままやめました。
 たしかにあれがみんな星だと、いつか雑誌で読んだのでしたが、このごろはジョバンニはまるで毎日教室でもねむく、本を読むひまも読む本もないので、なんだかどんなこともよくわからないという気持ちがするのでした。

蜘蛛の糸
芥川龍之介
 或日の事でございます。御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色の蕊からは何とも云えない好い匂いが、絶間なくあたりへ溢れております。極楽は丁度朝なのでございましょう。
 やがて御釈迦様はその池のふちに御佇みになって、水の面を蔽っている蓮の葉の間から、ふと下の容子を御覧になりました。この極楽の蓮池の下は丁度地獄の底に当っておりますから水晶のような水を透き通して、三途の河や針の山の景色が、丁度覗き眼鏡を見るように、はっきりと見えるのでございます。

 さあどうでしょう。本来であれば、秒まで計れる時計を準備して何分何秒で読めたかを記録します。何日間か続けて行なってみて下さい。前回よりも速く読めていれば、確実に脳は活性化しているということになります。脳を鍛えるためには、できるだけ速く音読するのがよいのです。
 では、なぜ黙読よりも音読をした方が脳が活性化するのでしょうか。これは、言語の構造を考えるととても簡単に解釈することができます。黙読というのは文字としての言語を見るだけで終わっています。しかし、音読は文字の言語を目で見て声に出す−すなわち、音としての言葉に脳の中で変換して声に出しています。さらに自分の声を耳で聞いています。ですから、音読しているときの脳は、文字としての言葉の情報を見るだけでなく、それを音としての言葉に変換して口から出し、さらにその情報を耳から入れるため、黙読しているときの脳に比べると、、二倍ぐらいはよけいに働くのだと考えられます。そして、私たちのデータからは、音読をするとそればかりでなく、左右の脳の前頭前野を含むきわめて多くの領域が活性化することが読み取れました。その理由はいまだにわかりません。
 では、読んでいる文章の内容によって、脳の中の働く場所は変わってくるのでしょうか。まず、原則として脳は何を読んでいても大いに活性化します。まったく無意味な文字列を読ませても、意味のある文章を読んでいるときと大差はありません。逆に意味のないものを読んでいるときのほうが意味をとらえようとする反応が起こり、よく働く面もあります。また、先ほど触れました外国語や古典など、私たちが普段使っている言葉とは文法が少し異なる文章を読むと、大いに活性化している脳を、もうちょっとよく働かせられます。内容が物語か科学読物かでは、それがモチベーションや興味につながって、活性化につながる面が少しはあるかもしれません。いずれにしても、どんな文章を読んでも脳が大いに活性化することは間違いありません。
 私たちは今、新聞社の方たちと協力して、毎朝、新聞を音読して脳を鍛えようという主張をしています。音読する時は、五分も行なえば効果がありますから、コラムを読みましょうと提案しています。コラムで物足りない人は社説を読むことを提案しますが、おそらく、音読を一〇分行なうのはなかなか大変だと思います。
 さきほど触れた、「素直に理解できない言語を扱うときには、ブローカ野のあたりを大いに使っている」という研究を学習に生かせないかということも、現在、私たちの最先端の研究の中に入っています。例えば、夢物語ですが、古文を読むときは文法を理解する前頭前野が活性化しますから、古文を読みこなすことが英語の理解のトレーニングになるかもしれません。まだ具体的にどうするというところまではまだ見えてこないのですが、そんなふうに、脳科学のデータを研究室の中にとどめずどんどん社会に還元していきたいと思っています。


音楽を聞<と脳は働かない?

 音楽を聞いているとき、脳の中で主に働くのは音を聞く側頭葉の聴覚野だけで、それ以外は活性化しません。前頭前野にいたっては活性化しないどころか抑制がかかり、少し働きが落ちるという現象が起きます。
 そこで聴覚野の反応に注目すると、音楽の聞き方によって聴覚野の右脳がより働いたり左脳がより働いたりすることがわかります。実際、私はまったく同じ音楽を聞きながら、あるときは右脳だけを働かせ、またあるときは左脳だけを働かせるといったように、恣意的に脳の反応を変えることができます。
 私が特別変わった脳をしているわけではありません。これは、聴覚野の右脳と左脳が何により反応するかがわかっていればできることです。右脳の聴覚野は、リズムや抑楊に注意を集めるとより働きます。一方、左脳の聴覚野は音を言語化するような作業をするとより働きます。つまり、歌詞が入っている音楽を聞くとき、歌詞を一生懸命追いかければ左脳がいっぱい働き、歌詞をなるべく無視して抑楊だけに注意を向けると、右脳が働くわけです。
 虫の嶋き声を聞くとき、日本人は左脳を使い、外国人は右脳を使う−そんな話を聞いたことがあるでしょうか。真偽のほどは別にして、これも脳の働きから説明することができます。もしも日本人が左脳を使って虫の鳴き声を聞いているならそれは「リーン、リーン」などと言語化して聞いているからで、外国人は右脳を使っているならそれは抑揚で聞いているからなのです。だから、外国人であっても、虫の鳴き声を「リーン、リーン」と聞こうと思えば左脳しか働きません。
 最初に音楽を聞いているときは前頭前野が活性化しないという話をしましたが、それはあくまで「聞く」ときだけの話です。楽器を演奏して音楽を作りだす人は、前頭前野が大いに活性化しています。音楽というのは、情報を出す側と与える側で前頭前野のフェーズが逆転する、非常におもしろい刺激なのです。
 私白身は、脳を活性化することを中心にメッセージを出していますが、活性化するばかりでは、脳は疲労してしまいます。脳も積極的に休ませる必要があるのです。そのために、前頭葉をまったく使わない音楽を「聞く」という行為は実に適しています。音楽がこれだけ多くの人々に好まれ続けているのにも、そんな理由があるのではないでしょうか。

inserted by FC2 system